徳川幕府が築いた静岡のプラモデル産業の底力とは

経済学部准教授(専門分野:地域経済)山本健太

  • 政治経済

徳川幕府が築いたプラモデル産業の礎(いしずえ)

プラスチックモデルキット(以下、プラモデル)の都道府県別出荷額では1980年代後半から静岡県がトップを走り続け、2012年は出荷額のうち93%を占めるという驚異的な力を誇っています。地場産業産地の多くは衰退あるいは崩壊の危機に瀕している中で、なぜ静岡県のプラモデル産業はこれほどまでに強いのでしょうか。

調査と検証を進めた結果、その裏には、江戸時代から集積された地場産業と、静岡市を中心とする静岡県中部地域(以下、静岡中部)が持つ、「顔の見える関係」を大事にするという特性が密接に絡んでいることが分かりました。どういうことでしょうか。一つ一つ紐といて行きましょう。

まずは江戸時代の話です。静岡中部では漆器や下駄,木製家具などの産業が発達しました。徳川幕府が、静岡浅間神社や久能山東照宮などの造営を行うために全国から職工を集めたからです。現在でも漆器産業や、雛具・仏壇・木製家具などの木漆産業は重要な産業となって根付いています。

木漆産業では切れ端が廃材として大量に排出されます。高級木材なだけに、どうにか再利用しようと、1940年に木製模型飛行機の製造が始まりました。実は、同じ静岡中部の企業が商品化した「竹ひごを利用した模型飛行機」が戦意高揚のために学校教材に採用されており、模型に対する需要があったのです。

産業として順調に育った木製模型ですが、1958年に初めて国産プラモデルが発売されると状況が一変します。複雑な形状を精巧に表現でき、かつ容易に組み立てることができるプラモデルを前に売り上げが落ちていったのです。

木製からプラスチックへの転換を支えた静岡中部の産業集積

プラスチック素材への転換を計る必要があります。しかし、プラスチックと木とでは同じ模型でも製造技術が全く異なります。さらに製品化までの各工程には高い専門性が求められるため、他社との分業体制を築く必要があります。この危機をどう乗り越えるか。

困窮するなか地元を見回すと、徳川幕府の重要拠点だっただけあり、東名阪を結ぶ東海道に位置し、特定重要港(現・国際拠点港湾)に指定されるほどの清水港を擁しています。木漆産業だけではなく、製茶業や水産加工業も発展し、缶詰工場の周辺には、ラベル印刷や金型、成形技術がありました。機械産業や繊維産業、紙・パルプ産業も発展しています。

素材転換を可能にするための関連技術は、全てではないにしろ集積されていたのです。特に、成形や印刷、製函(箱作り)といった工程を、同じ地域内にある企業に頼めるのは大きなメリットになりました。物流を伴う取引が多いために近接性が求められるからです。

しかも同じ静岡中部の企業であり顔なじみの関係です。強い信頼関係の下、製造に関する知識を共有し技術力を身につけていきました。

実際に工場長が「プラスチック射出成型の技術を習得するために地元企業に1年間通った(*1
という事例があることからも、顔の見える相手同士の強い信頼関係の下に素材転換が行われ、プラモデル産業の分業体制が着実に整備されていったことが分かります。

経済地理学という学問

この地域は、(1)歴史的に見ると職工が多く集まった場所、(2)地形的に見ると製造業が発展しやすい環境を有する、(3)人の集団的に見ると「顔の見える関係」を大事にする、ということがわかります。
この(1)(2)(3)の要因が重なり、静岡中部を中心とした「技術力の高い分業体制を構築することができ、プラモデル産業の原動力となっています。また、事業開始時より継続した取引が続いており、年を追うごとに技術力が向上していると推測されます。

このように産業集積などを中心として経済と場所を結び付けて考えていく、その場所の歴史や気候、地形、人の集団などが「どのように経済に影響を与えているのか」を理論と実証の二本柱で見ていくのが経済地理学という学問です。

今回は、同地域内の企業がプラモデル事業を展開する様子を主に紹介しましたが、他地域から、この地域に進出した企業が、(3)の要因があるために、当初は取引を断られるケースが多かったという事例もあります。

国内の地場産業産地を分析するだけでなく、企業が新たな地域に進出を考えている場合でも、経済地理学的視点は非常に重要だと考えています。海外進出に関しても同様です。

「二つとして同じ場所はない」といわれています。なぜそれがそこにあるのか、現場の視点に立って、地域を軸に考えていくことはとても大切なことだと思います。経済活動においても、このような視点を取り入れてみてはいかがでしょうか。

  • (*1)田宮俊作『田宮模型を作った人々』pp146-148