足かけ11年、商店街にタワマンを建てた住民たち

住民が主体になって進めた、横須賀市の再開発とは

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横須賀中央の町並み(2010年2月撮影)。

 中心市街地のにぎわいの低下や建物自体の老朽化など、地方都市の抱える課題が顕在化してきている。さらに近年では、首都圏に近い都市でも同様の問題に直面している。

 その解決策の1つが「都市の再開発」であるが、行政主導では住民から反発を招き思うように進まず、一方で住民が主体で行うには、事業を主導するだけの知識や技能を持っていない。自治体は、矛盾する課題を突きつけられている。

 そんな中、神奈川県横須賀市では「大滝町2丁目の再開発」を成功させた。しかも「住民主体」で進めたというのが、大きなポイントだ。

 なぜ住民主体で成し遂げることができたのだろうか。行政学や地方自治論を専門とする國學院大學法学部の稲垣浩准教授の話をもとに紹介しよう。横須賀市の取り組みからは新しい「地域自治」のシステムが見えてくるという。
制作:JBpress

國學院大學法学部の稲垣浩准教授。東京都立大学大学院社会科学研究科政治学専攻博士課程単位修得退学。北海学園大学法学部講師を経て現職。博士(政治学)。主著に『戦後地方自治と組織編成--「不確実」な制度と地方の「自己制約」』(吉田書店)など。

魅力的な再開発は、住民主体であることが条件

──まずは横須賀市にある大滝町2丁目の再開発について概要を教えてください。

稲垣浩氏(以下、敬称略)大滝町2丁目地区は、もともと昭和40年代に地元の権利者によって、現在の都市再開発法の前身となる法律による「防災建築街区整備事業」という手法を用いて整備されたエリアです。

 その当時に建設された大型商業施設のキーテナントとして、スーパーの西友を誘致して長らく発展し、その他、証券会社やミシン屋さん、ラーメン店などが立ち並ぶ街区でした。

 しかし、近年、街区の大部分を占めた大型商業施設の耐震診断を契機に、耐震補強や設備の更新などを行い建物を維持していくか、あるいは建替えを行うか、のいずれかを選択する必要性に迫られていました。

 そこで、大滝町2丁目地区では、この街区にあったそれぞれの建物を取り壊して、1つの複合ビル(タワーマンションと商業施設)を建てることに決定しました。この再開発を進めていったのは、その街区の土地や建物の所有者などの地権者(権利者)です。

 もちろん、行政が主導して行うことも可能でしたが、市としては、地権者が主体となる組合施行での市街地再開発事業の施行を働きかけていきました。

──なぜ行政は住民主体にこだわったのでしょうか。

稲垣:1つは、そもそもそこに土地や建物を所有し、生活を営む人がいるということです。その人たちは、市街地再開発事業により施設を新築した後も、そこで商売を続けたり、あるいは住居を構え生活をしていくことになります。

 したがって、実際に地権者の意見を入れていかないと、地権者の実情と齟齬が生じてしまい、結果的に、地権者の生活再建ができない施設を作ってしまうことになりかねません。

 また、行政が主導で事業を実施すると、結果的に集客が期待できない施設を作ってしまったり、完成後も地権者が行政へ依存するような体質が生まれてしまったり、あまり良い結果とならないケースも想定されます。そのため、自分達の街は、自分達で創る、という意識を持ってもらう事を優先しました。

 さらに重要なのは、建てた後の“まちづくり”という観点です。再開発の中でできた住民同士のつながりは、その後の“まちのつながり”になります。都市の場合はもともとのつながりが希薄ですから、住民主体の再開発を行う中で、つながりを作るという意味もあるのです。

──住民主体の効果は、開発後の町を考える上でも大切なのですね。

稲垣:その通りです。街づくりや再開発というのは、建物を建てるのが目的ではなく、完成した建物をいかに地元と協調できるようにしていくか、地権者の生活再建が円滑にできるようにするか、などが重要な要素になります。

15人から始まった住民の勉強会「5ビル会」

──具体的にどうやって再開発が進められたのでしょうか。住民主体で行うとなれば、問題もいろいろ出てきそうですが。

稲垣:大滝町2丁目地区では、街区の大部分を占めていた大型商業施設の土地・建物の所有者、いわゆる地権者が中心となった「5ビル会」という組織が既に存在しており、建物の維持や店舗の賃貸借や運営などについて、その都度、協議検討をしていました。

 その中で、建物の維持存続か、建替えかの議論もされ、5ビル会として全員一致の意見統一を図り、市街地再開発事業での建て替えを決定しました。

 その際、5ビル会として、事業の実施について相談できるコンサルタントを公募し、選定されたコンサルタントと一緒に、街区の地権者へ協力要請を行っていきました。

 当然、進捗にあたっては、横須賀市とも綿密な協議を随時重ねて進めました。

──どうやって参加意識を高めたのでしょうか。

稲垣:まず、5ビル会として選定したコンサルタントを、事業のコンサルタントとして位置付け、地元の主たる権利者であらかたの合意形成を図りました。その後、事業スキームを確立するため、事業実施までの資金協力ができる事業協力者を選定しました。

 そのコンサルタントが一軒一軒の地権者を回って、面談をしていきました。その中で再開発の必要性を説明していったようです。ただし、「こういう再開発をしましょう」というのではなく、あくまで検討を促す形です。

 最終的に再開発ビルが竣工したのは2015(平成27)年ですが、この動きが始まったのは2005(平成17)年5月からのことです。

──まずは行政が地道にきっかけを作ったということですね。

稲垣:こうして、面談で再開発の意向喚起を行ったところ、地権者の意向で「再開発協議会」を組織し、市街地再開発事業の勉強会が始まりました。ここで、既存の大型商業施設以外の建物においても耐震強度が足りていない建物が多いことや、木造家屋の老朽化といった現状の問題点が明確になり、再開発を前向きに検討する方向へと話が進んでいきます。

──地権者たちが前向きに検討し始めたのは、何がカギになったのでしょうか。

稲垣:おそらく地権者の方は、現状のままでは何となくまずいことを感じていたんですね。ただ、通常は再開発のメリットがきちんと顕在化しないために、話が流れていってしまいます。当地区のケースでは、協議会等で勉強をしながら、地権者のメリットや現在抱えている問題が明確になったため、再開発への意識が高まったと言えますね。

 なお、再開発協議会は行政が開催を提案したわけではありません。かといって、完全に自然発生したわけではなく、コンサルタントからの提案や、行政との協議の中で、行政がそのような形式もあることを紹介していったのです。つまり多方面からの働きかけと言えます。

 その結果、最初は5ビル会として、地権者の3分の1ほど、15人ほどの参加者だったのが、徐々に広がりました。会議も、その後、準備組合、組合と発展的改組を遂げる中で、5年間で200回以上に上ったと言います。

成功につながった、リーダーとアドバイザーの存在

──5ビル会が開かれたのは成功への大きなポイントだと思います。とはいえ、あくまで一般の方たちですので、たとえ会議が頻繁に行われても、スムーズに進行するとは限りませんよね。

稲垣:もちろん簡単ではありません。そもそもこういったケースでは、まず「リーダーを誰にするか」という問題が生じます。通常、住民主体の組織を作っても、リーダーを決めるだけで時間がかかってしまいます。

 ですが当地区では、地元のまちづくりのために積極的に動ける地権者がいました。彼(仮にAさんとします)は会議での長となり、別の地権者への出席要請や、関係行政機関やデベロッパー、事業協力者等との調整の折りにリーダーシップを発揮しました。また、こういった場合のリーダーは、えてしてトップダウンで仕切ってしまいがちですが、あくまで強制せず、粘り強く会議を開いて話し合ったようです。

──稲垣先生は以前、「住民主体の地域自治では、リーダーとなるキーパーソンが必要」とおっしゃっていましたが、この場合のAさんは、まさにその役割ではないでしょうか。

稲垣:そうですね。ただ、Aさんがすべてを担うと負担が大きくなりすぎて、頓挫しかねません。そこで市の担当者やコンサルタントなど関係者も、かなり入念にフォローしたそうです。会議にも必ず同席して、何かあれば相談に乗ったりするなど。そのような中で、地権者の意見は再開発の方向でまとまっていきます。

──再開発へと動き出したところで、難しいのは具体的な再開発プランを立てることです。具体的なプランを住民主体で考えるのは非常に大変そうですが、どう進めていったのでしょうか。

稲垣:2006(平成18)年に「大滝町2丁目地区再開発協議会」が設立し、2007(平成19)年には「大滝町2丁目地区再開発準備組合」となります。そしてこの頃、準備組合として資金調達のため、資金や計画を支援頂ける事業協力者候補を選定しました。

 住民は建築の専門家ではないので、真っ白な状態から完成のイメージを議論して決めるのは困難です。そこで、事業協力者からの資金をもとに各種専門コンサルタントを導入し、最初にいくつかのパターンや選択肢を出してもらって、それをもとに住民が議論していきました。市は決して前面には出ず、あくまで住民主体で進めていくことの支援に徹していたようです。

11年に及ぶ住民の再開発プロジェクト

──2004年から水面下で動き出した再開発の計画ですが、最終的な計画はいつ決定したのでしょうか。

稲垣:2008(平成20)年に都市計画決定となります。ここまで何度も会議を重ねているので、住民同士の考えはまとまっていたようですね。その後、リーマンショックなどの影響もあり、事業は少し遅延しましたが、2013年には無事に工事へと着手。2015年に竣工しました。

──再開発のタワーマンションは、どんな形になったのでしょうか。

稲垣:「権利変換方式」といって、地権者がもともと持っていた土地と建物の権利、いわゆる従前資産評価額に応じて、再開発後の建物内に、新たに土地所有権付き建物を、従後資産として取得していくという形です。

 当地区の場合、もともとの地権者の多くは低層階の商業・業務フロアを取得し、上層階の住宅部分の大部分は参加組合員に一括で売却します。その参加組合員からの収入は、事業費として充当する仕組みとなります。基本的に、地権者の費用負担はありません。

 ちなみに、今回の建物のように足元の商業業務施設、その上に多数の住宅を乗せる形態は、昨今の市街地再開発事業でよく見られる形態ですね。一般的には、事業成立性を上げるためには上層部に住宅を作って販売し、事業費に充てることが効果的となりますが、この事業以降、工事費が高止まりした現状では、横須賀市のような都心部から少し離れた場所ではなかなか難しい状況になっているようです。

──足掛け11年のプロジェクトを、住民主体で行うのはかなりのエネルギーが必要だと思います。最後まで成し遂げられた理由はなんでしょうか。

稲垣:最初に、住民の参加意識や危機意識が非常に強かったということ。また横須賀市のランドマークとなる横須賀中央駅周辺での初のタワーマンション、あるいは初の再開発といった希少性や、法定再開発事業での建物という信頼性も功を奏したと思います。

 加えて行政、特に横須賀市の強力な支援も十分に後押しになったと考えます。

 また、リーダーやアドバイザー存在など、住民主体で進めやすい環境が比較的容易に作られたことも大きいですね。市が権利者調整など様々な場面でフォローに徹したこともポイントです。

──このような再開発の形は、これから盛んになっていくのでしょうか。

稲垣:こういった取り組みは、どのエリアでもうまくいくとは限りません。ただ、大滝町2丁目のような事例が出ることで、住民主体で進めるケースが増えてくる可能性もあるはずです。

 住民主体での地域自治には、キーパーソンや行政のフォローなど、さまざまな要素が必要となります。この他にも特徴的な取り組みを行う地域がありますので、今後も紹介していきたいと思います。